医の散歩道

HOME > 医の散歩道 > 第66回 肥沼信次博士 顕彰碑除幕式

2017年9月配信

⇒バックナンバーはこちら

戦後70有余念を経てドイツで今も慕われる、日本人医師の物語。
肥沼信次博士 顕彰碑除幕式

2017年に市制施行100周年を迎えた東京都八王子市は、現在人口58万人の中核市。21の大学を抱える学園都市として、またミシュラン三ツ星観光地の高尾山があることでも有名です。今回ご紹介するのは、同市出身の医師・肥沼信次博士。第二次世界大戦後のドイツ、ヴリーツェンでの文字通り献身的な治療活動は、今なお現地で語り継がれています。

傳染病研究所 履歴書綴 2017年9月3日、この肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)博士(1908-46)の顕彰碑除幕式が開催されました。建立場所に選ばれた八王子市中町公園はJR八王子駅から徒歩8分ほど。駅から続く繁華街、西放射線ユーロードに面する小さな公園です。また、近くには博士の実家でもある肥沼医院があったゆかりの土地。顕彰碑の建立は市民団体「Dr肥沼の偉業を後世に伝える会」によるもので、趣旨に賛同した全国2500人以上の方からの寄附が集まったそうです。

医科学研究所一号館 肥沼信次は第二次世界大戦後のドイツ・ヴリーツェンで蔓延した発疹チフスの治療に尽くし、自らも同じ病で命を落とした医師。敗戦の混乱の中、医療センターの医師は肥沼博士のみとなり、7人いた看護師も5人までがチフスで亡くなるという緊迫した状況でした。このような中で治療を続けた博士は市民から敬愛され、市庁舎には記念銘板が掲げられ、名誉市民にもなっています。一方、大戦後東ドイツの一部となったヴリーツェンの情報は日本には届かず、博士の消息は家族にすらわからないままでした。ベルリンの壁崩壊の1989年、ドイツ側からの要請で朝日新聞の「尋ね人」欄に肥沼信次の名前が掲載されたことをきっかけに、初めてその消息が確認できたといいます。

43年もの長い間、日本では知られずにいた肥沼博士の功績を日本にも広めようという草の根の活動を実らせた顕彰碑の建立でした。博士の最期の言葉「日本の桜が見たい」にちなみ、顕彰碑には特に薄紅色の石を用い、肩には桜の花びらを。そして、遠くドイツで客死した博士への「おかえりなさい Dr.肥沼」の言葉が刻まれています。

肥沼信次

肥沼信次の年譜

1908
(明治41)
八王子市中町で生まれる
1928
(昭和3)
日本医科大学入学
1934
(昭和9)
日本医科大学卒業
東京帝國大学医学部放射線医学教室にて研究活動
1937
(昭和12)
渡欧
ドイツ・ベルリン大学放射線研究所に入所
1942
(昭和17)
東洋人として初めてベルリン大学教授資格取得
1945
(昭和20)
ヴリーツェン伝染病医療センター長に任命
発疹チフス患者の治療に従事
1946
(昭和21)
自らも発疹チフスにかかり死去(享年37歳)
1994
(平成6)
ヴリーツェン名誉市民受賞
2017
(平成29)
出身地・八王子市に顕彰碑建立

 

 

お気軽にご相談ください
お電話でのお問い合わせ(受付時間 平日9:00~18:00)
論文担当東京:03-6403-9956 大阪:06-6431-0966
  • 見積依頼フォームはこちら
  • ご連絡フォームはこちら

ページTOPへ戻る